Salon de Blossom
パーソナルカラー診断 骨格診断 広島

Chiakiの歩み

幸せをつかむパーソナルカラー&骨格診断

Chiakiの歩み

昭和30年代半ば、父が営むテーラー(紳士服の仕立て屋)の一人っ子として生まれる。

物心着いた時から、布地とミシンに囲まれてました。

隣が、その当時市内で一番人気の高級子供服店(しんや)の仕立て場で、

毎日美しい刺繍やリボンがついた高級子供服を見ながら、
きれいな洋服へのあこがれはつのるばかりでした

そうしておしゃれが大好きな娘として育ちました。

物心ついた時から、自分にはこんな色の服が似合うとか、友達が今日よく似合うお洋服を着ていたとか、考えていました♪

大学は被服科に行きましたが、この頃はあまり授業に興味なく特に実習は好きじゃなかったです。








そして26才で職場結婚、

すぐにでもお母さんになりたいと思ってました。

子供の頃から、毎日忙しく仕事をしていた母の後ろ姿を見て育った私は、

いつかお母さんになれたら、家にいて子供と一緒に遊んだり、

手作りのおやつを作ったりする優しいお母さんになりたいとあこがれていました。

 
だけど結婚後1年が過ぎても妊娠する兆しなし・・・

今思えば、5~6年妊娠しなくてもふつうに子供を授かっている人はたくさんいるのですが、

その時の私は、同じ時期に結婚した周りの友達が次々妊娠していく中で私だけが
お母さんになれないのではないかと毎月毎月が入学試験の合格発表を待つように
ドキドキして悲しんでいました。
 

そして一大決心をして、知り合いから教えていただいた不妊専門の病院に早々と
通い始めました。

痛い治療や期待と失望を繰り返しながら、1年ちょっと経った時に見事妊娠!!

でもその時はまだ妊娠5週くらいで赤ちゃんの心拍を確認することもできないし、
出血もあったので子宮外妊娠の疑いもあるからと入院することになりました。

病院のベットで、もしこれが子宮外妊娠で大変なことになったら・・・
二度と赤ちゃんは産めないかもしれない、
そしたら一生お母さんになれないと泣き続けていました。

そんなズタズタな気持ちのなかでも、赤ちゃんができているという小さな望みは捨てきれず、
入院生活を送っていたある明け方、素晴らしい夢を見て目が覚めました。
 

その夢は広ーい緑いっぱいの草原の真ん中に私が一人で座っていました。

澄みきった青空でなんだかとっても幸せな気持ちで(*^_^*)

ふと私の横の草に目をやると、四つ葉のクローバーがありました。

わぁーすごいと思って、周りを見渡すとその草原の全ての草が、四つ葉のクローバーだったのです。

四つ葉のクローバーの草原です。


夢の中で私は絶対に大丈夫!このお腹の赤ちゃんは絶対に元気に産まれる!

そう思って目覚めました。
その時にお腹にいたのが今の長女です。

それから重いつわり、切迫流産、切迫早産を乗り越えて無事出産することができました。

その2年後、次女も授かることができ、誰から見ても幸せの真っ只中のはずでした。

なのに私は何故か、自分のことが大嫌いになっていつも落ち込んだり、
イライラしたりで決して描いたような幸せ子育て生活を送っていなかったのです。


  




少し話は結婚前に戻りますが、結婚式を教会であげたので、その時に神父さまから
「心の基地はお母さん」という素晴らしい本をいただきました。


お母さんになりたかった私は、結婚前からその本を愛読書にして隅から隅まで頭に入れ
、必ずこの本のようなすてきなお母さんになれると自信満々でいました。

それで先ほどのような流れがあってやっとの思いで授かった我が子、
この子に将来悲しみや苦しみが訪れるかもしれないと想像しただけで涙が出るほどで、
大切で、愛情いっぱい育てようと思いました。


そしてお勉強お勉強、しつけしつけというお母さんにはならないで、のびのびと子供の芽を
つまない、やる気や個性を伸ばすお母さんになろうと願いました。

誰もがそう思うように元気でお友達がたくさんつくれる子であればと思いました。


そんな親子の公園デビュー!!

長女は自分から周りの子供たちに近づくことは一切なしで、あいさつなどはもっての外、
自分から話しかけることはめったになく、一人で砂場で黙々と遊んでました。

元気で、お友達をたくさん作ってくれるだけで十分と思っていた私は、
いきなりたったそれだけの望みも叶わない状態になってしまったのです。


周りの人が気軽に言うこの子笑わないね~とか、おとなしいね~とかの悪気のない言葉も
グサグサと私の心にささりました。

そして家に帰ると「どうしてありがとうって言わなかったの?」「どうしてさよならって言えないの?」などしつけという理由のもと毎日長女を責めていました。
 

その頃次女がまだ赤ちゃんだったせいもあってドラッグストアーによく行っていたのですが、
ある日、次女がお昼寝している間にちょっと近所の
ドラッグストアーへ買い物に行こうと思って長女を誘った時でした。

まだ2歳の長女が「行かない」って言ったのです。

「何で行かないの?」いつもだったら1分も私と離れることができない子なのに・・・

その時2歳の長女からでてきた言葉は「お店のお兄さんがお土産をくれたらイヤだから」でした。


おとなしいわりには人に物をもらう事やそれらを集めるのが好きな子で、

それまでは風船や小さなお人形などもらうと嬉しかったはず・・・なのにこの言葉。

頭をかちわられたようなショックで涙が止まりませんでした。

もらうと必ず家に帰ってから私から「なんでありがとうって言わなかったの?」と
叱られていたので、それがイヤで大好きな物ももらいたくなくなってたし、
私と離れての辛いはずのお留守番も、それに比べたら、ましだったのだと思います。


私はこんなにもこの小さな子を苦しめてたのかと思うと、目の前にいる長女
に申し訳なくて、自分を責めました。




だったらそんな体験をしたのだからそれからはいいお母さんになれれば
よかったのですが、その日から「わかっているのに叱ってしまうダメな私」という
第二ラウンドに入っていってしまいました。







たくさんたくさん反省したはずの私でしたが、公園に行くと周りのみんなは次々に私を
試してくれました。

そして長女は依然としてお友達が遊ぼうと誘ってくれても、目の前でみんなが楽しく遊んで
いても, その中に入ろうとはしないし、
相変わらずありがとうなどのあいさつもしないままでした。


当たり前ですよね。私が少し気づいたからといってすぐに長女が変わるわけ
ないです。
 

私は、グッと我慢をして余計なことは言わないようにしました。

そうしたら10回我慢できたら11回目には爆発して今までの10回分も全て持ち出して
叱る!というパターンになってしまったのです。
  
~どっちがいいんだろう???どっちも同じだしむしろもっと悪いような気がします。


そして爆発した後はひどく落ち込んで自分自身を責めるという繰り返しで、
生まれて初めて自分のことが嫌いで嫌いでしかたなくなりました。

それで行き着いたところは、私が自分の母親をうらむという行為でした。

私の母親は忙しい中での子育て、やんちゃだった私を時々感情的に怒っていました。

それを都合よく思い出して、私の母親が優しく諭してくれる子育てをしてくれてたら、
私はこんな風にならなかったのにと思うようになってしまったのです。


自分を嫌いになるイコール自分を育てた母親を恨む!という日々は私にとってはかなり
辛い日々でした。

遅くまでまじめに一生懸命働いてくれる主人にも毎晩愚痴ばかり言っていました。



そんな時に近所のママ友からいい本を貸してもらったからと、読ませてもらったのが
「親業」という本でした。
 

一気に読んで感動、し今度はこのやり方が素晴らしいと思いました。

すぐに地元におられる先生と連絡をとり講座を受けることにしました。

そしてどんどんはまっていき、はまっていく中で同じような悩みの仲間とも出会い、
先生にも話しを聞いてもらえて全ての講座を受講しました。


初日の先生の言葉ですごく印象的だったのが「娘さんは、あなたを選んでここに産まれてきて
いるんですよ。」という言葉と「あなたの子育ての目的は何ですか?」でした。




私の子育ての目的は「自立して、産まれてきてよかったと思える人間になって欲しい」
とかっこよく答えました。

そうしたら先生は
「その目的に対して今2歳の娘さんがあいさつしないこと、お友達を
たくさん作らないことが直接の問題がありますか?

誰がお友達がたくさんいる方が絶対に幸せって決めたのですか?

誰が社交的な人が絶対に幸せって決めたのですか?」と言われました。

そして衝撃的だった言葉が、

「上手に子育てしてるわねーって思ってもらいたくて、自分が安心したくて子育てしてない
ですか?」でした。







確かにお友達は多い方が幸せかもしれないです。

でもたった一人の親友と心豊かに人生を送る人もいると思うし、人見知りでいろんな人と
お話しできなくても自立している人もいるかもしれないです。


私は「勉強なんか気にしないから、元気で明るくお友達がたくさんいればいい!」という私の好みを押し付けて、この子を育てようとしていたんだということに気づかされました。

勉強ができる優等生に育てたいと思う子育てとは違って、このことは子供にとって素晴らしい
ことと思っていたのですが、本人の個性を無視して
自分の望むように生きさせるという点では、何も変わらなかったんだと思いました。

そして産まれてわずか2~3年で、私にこんないろんなことを学ばせてくれる幼い長女を
心から愛おしく思いました。

娘が、普通に明るくみんなと仲良く遊ぶ子供だったら、こんなことに気づくこともなく
他の形でいつか娘たちを押さえつけていたと思います。



でもまだまだそんなに甘くはありませんでした。

一種のノイローゼ状態からは少しだけ打破できましたが、子供のために受け入れよう変わろう
としていたせいか私自身のストレスは頂点に達していたのでした。


それでもご縁というものはありがたいもので、親業の先生の紹介でその後、生協などを
通じても広く知られることとなったアドラー心理学との出会いがあり、
少ずつですが頭の中が整理され始めました。


その後は幼稚園・小学校と娘たちが成長し、だんだん子供から手が離れる時間ができて
、ある出会いから営業の仕事を始めました。






そして子育てだけの生活から少しだけ外をのぞいてみた時に、人生の目標がお母さんになることだけだったこと、子供を持ったら次は自分が思うような子供や家族をつくっていけると思い込んでいたことに気づきました。

頭にあるのは子供の将来ばかりで、私自身が一人の女性として、一人の人間として人生を生きる、ということなど考えてみたこともなかったです。



よし私が輝いて生きよう!
もちろん娘たちに精一杯の愛情を注ぎ続けることには変わりないけれども、
私が私の生き方で後ろ姿を見せていこうと思いました。


どういう人であって欲しいとか、世間でいうしつけとかは、口で何100回言うよりも自分の姿で見せていこうと決めました。
 


 




それからもいろんな葛藤はありましたが、娘たちとはいつも仲良しで笑っていられることを
心がけ、私自身も私たち夫婦も後悔のない日々を送って行きたいと思って暮らしました



でもやはり人生には必ず試練が訪れるものなのか、私とは友達のように仲良しで、いつも明るく私や娘たちに接してくれていた私の父親が、
突然体の不調を訴え検査の結果、末期がんと診断されてしまったのです。

風邪で寝込んだことさえも一度も見たことがなく、おおよそ死などと縁がないものと思っていた
父親が、
還暦を過ぎて今からやっとのんびりできると思っていた矢先のできごとでした。

まさに青天のへきれきで、今までの人生で一番ショックと感じたできごとでした。



それまでの人生の中でも辛いことや苦しいことはたくさんあったけど、どれも頑張ったら
なんとか乗り越えられたり、どうしてもイヤだったら投げ出すこともできました。



生きているとこんなに苦しいことを乗り越えなければいけないのかと、つくづく思い知らされ
ました。30代後半にさしかかった頃でした。
 

父親はたくさんの兄弟の末っ子で育ち、いつまでも子供っぽく明るくて楽しくって、私は
そんな父親が好きでした。

でもはっきり言って、友達父娘で尊敬とかしたことはなかったかもしれないです。

そんな父親が自分の病いを知って日に日に苦しくなっていく中で、ただの一度も泣き言を
言わなかったこと、最期まで明るく過ごし
周りの人を気づかっていたこと、その後ろ姿は、父が私に残してくれた永遠の宝物になりました。



そして明日は何があるかわからない有限の時間の中で、みんなは生かされているんだという
こと、どう生きるか、何のために生きるかということを考えるようになりました。


生前、父親は言葉や日常の生活の中で素晴らしいことを伝えることができる人ではなかったかもしれないけど、だからこそ自分の命を削って私にどう生きるか
何のために生まれてきたのかを教えてくれたのだと思っています。


父親のお陰で悲しみを乗り越えて、また家族は一丸となり、娘たちの思春期も楽しく過ぎ、
長女に続いて次女も無事、県外の大学へ送り出すことができました。







長女が家を離れた時には、まだ手元には次女がおり大学受験とかも控えていたので、
あまり淋しいとか思わずに過ごせました。


ところが次女を送り出して、突然、自分でも全く想像していなかった心に穴が開いたような、やる気が起きないような状態に陥ってしまったのです。

仕事も趣味もたくさん頑張ってきていたつもりで、子離れなんて楽々問題なく通り過ぎると
思っていたのに・・・


そして3か月くらい経ち、何とか切り替えて夫婦だけの生活が楽しくなり始めた頃、
また突然、今度は私自身のがん宣告!何の兆候もなく定期健診により見つかりました。

最初の検査の結果ではかなり悪いものかもしれないということだったので、
大きなショックでしたが、父親の体験もあったお陰で、

初めに頭の中に浮かんだ言葉は「神様、今度私はこれを乗り越えないといけないですか?」でした。





一番辛かったのは、私が父の時に味わったような悲しみをまだまだ若い娘たちに
味あわせないといけないのかということで、本当に辛くて申し訳なかったです。 


それと私をずっと大切にしてくれている主人や年老いた母や義父母も健在なので、
悲しみを与えてしまうと思うと辛くてなかなか伝えることができず、
全員に黙って半月近く検査を受け続けていました。

  

結果は子宮頚部の腺がんでした。


子宮全摘、卵巣全摘、リンパ節廓清という手術によって一時は心も身体もボロボロに
傷つきましたが、お陰様で再発やリンパ浮腫への恐怖はありますがあれから7年、今を元気に
生きています。

 

そして同じような経験をされた多くの方がそうであるように、第二の人生をいただいたと思い、
私の経験や学んできたことが少しでも同じような悩みお持ちの女性や、子供たちが幸せになるために
お役にたてたらと思うようになりました。



 



お母さんが幸せだったら子供を幸せにできると思っています。

お母さんが不幸だったら子供も不幸なのです。

子供にもいろんなタイプの子がいます。
間違わないで付き合って、いいところを伸ばして仲良し親子でいたら必ず自立した幸せな
大人になってくれると思います。
 

私が今から20数年前に子育てでとても悩んでいた時、それまでの人生でその時ほど
自分を嫌いになったことがない程自己嫌悪で苦しみました

あれほど子供が欲しくってやっと授かったのに・・・

あれほど優しいお母さんになれると思っていたのに・・・

仲良しのママ友もいましたが何故か孤独を感じていました。

そしていつもイライラ・クヨクヨばかりで自分が思う母親像からどんどん離れていっているようで
ホント辛かったです。

そんな時、心理学講座である先輩ママに出会いました。

そのママからたくさんの言葉をいただいて救われ、それをきっかけに今があると思っています。

今度はこんな私の体験が、少しでも誰かの元気につながったらうれしいな~

子育ての方法論を探し、こうあるべきという考えで苦しんでいた私がもしあの頃のままで
子育てを続けていたら、娘たちも私たち夫婦も今のような日々ではなかったはずです。

今はあんなに悩んだ娘たちに支えてもらえるようになりました。







子育てだけではなく、結婚前の恋愛においても、

心から幸せと感じれたことはなく、苦しみの連続でした。

でもやっぱりそれがあったから今の夫(恥ずかしいですが、とてもいい人です。)と出会えました。

人生に無駄なんて何もない!!

幸せになれるイメージを持ち続けて、多くの女性と歩んで行きたいと思っています。
私もまだまだ迷うことだらけです。

そんな私ですが、ファッションを通じて、自分自身の経験・体験してきたことが少しでも誰かのお役にたてたら、誰かを元気にできたら幸いです。

 

一緒に幸せを見つけましょう